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「コンビニ人間」を読んだその1

コンビニ人間を読んだ。

「普通」であることを求め、人にも「普通」であることを課す現代人の有り様を描いている気がしました。

この本は「普通」っていう言葉が表現として多かったけど、私がよく使うのは「浮いていない」という言葉。

私も含め、人は周囲から浮くことへの恐怖を常に持っているような気がします。"KY"という言葉がいつか流行ったことも、それを象徴するような出来事だったとどこかで読みました。

浮くことへの恐怖心を抱くことは決しておかしなことではないと思うんだけど、それが行き過ぎておかしなことになってしまうのは、なにか間違っていると思うのです。

塾講師の仕事を大学生活のアルバイトとして3年半続けたのですが、異様に目立つ学生アルバイト集団がいました。その規模はここ半年ほどで拡大し、その中身の無い会話が物理的にも精神的にもうるさく感じられるようになりました。彼らからは「コミュニティ(派閥?)に属していることの優越感」しか感じとれませんでした。「ぼっちじゃない」「集団でうまくやれる人なんだ自分は」というアピール行為にしか感じ取れず、非常に不快でした。他の先生に一度怒られていたのを見たことがあります。飲み会の話をしていたときに「ここは塾だ、そういう話をする場所じゃないだろう」と。もはやここまでくると、実害がありますね。1人で行動することの何が怖いのでしょう。

なにか一つのことで人の価値が決まってしまうと思い込んでしまうことの方が恐怖ですよね。私も他人のことは言えない節があるのですが。

コンビニ人間では、アルバイトで生計を立てている未婚の30代女性が主人公で、家に住みつき始めた男性の話をしただけで、周囲は盛り上がります。彼女に対する視線ががらりと変わります。結婚をしていないだけで、正社員でないだけで、軽蔑の対象になる。客観的に見れば明らかにおかしいのだけど、身近にそういう人がいれば、同じような反応をする人がほとんどではないでしょうか。それってなぜなんでしょう。どうして結婚すること、正社員として働くことが「普通」であり、そうでない人が「異端児」という扱いを受けるのでしょうか。このような現象は、どの時代でも、どの国でも同じなのでしょうか。不思議です。未解決です。永遠の疑問です。

最後まで読めば、少しは糸口は見つかるでしょうか。


明日は鎌倉・江ノ島で一人旅です。
電車の中で読みながら向かいます。



おわり